ウニのたとえ話
我が娘(まるんと生)が投稿の車内でそっと話してくれました。
娘:「いつも私ゆずってばかりやねん。本当は私だって好きなことしたいし、好きなもの選びたい。
でも友達のこと考えたら、ゆずってあげたいとも思うねん。」
私:「うんうん。それでMちゃんがしんどくないんだったらいいけれど、自分が苦しくなるんだったら、やめといたほうがいいよ。
本当は自分はこうしたいねん。って明るく伝えたらいいんちゃうんかな。」
娘:「その明るく言うが、私できへんねん。」
ふむふむ。
私:「そっかぁ。その友達のためにって思ってゆずってあげてるんだよね。
でも、ゆずってあげるばかりが、友情じゃないと思うよ。」
娘:「えっ、どういうこと?」
私:「だってさ、Mちゃんがゆずってばかりだと、その友達は本当のMちゃんを知らないままやん。
素のMちゃんを知らないまま友達と思ってるんよ。それって、寂しいことやない?」
娘:「だって、けんかになりたくないし。」
「母ちゃんはこどものころはみんなウニやと思うんよ。
ウニって長いトゲトゲにおおわれてるやん。
それでウニ同士近づくとお互いのトゲが刺さるやん。
私はこうしたいねん。でも私は違うことしたいねん。ってやりあうのに似てるよね。
痛いけど、それがあるから傷つけられる痛さや、逆に傷つける痛さを知るんちゃうかな。
それで、「痛い!痛い!」をしばらく繰り返してたら、お互いの痛くない近づき方を知って、
本当に近くで一緒に居心地よく過ごせるようになるんちゃうかなと母ちゃんは思うんよ。」
娘:「ふんふん。そっかぁ。じゃあケンカはしてもいいんやな。」
私:「そうやね。怪我させたりひどく気持ちを傷つけたらアカンけど、本当の自分を出すのはいいと思う。
お互いを知るために、トラブルが起こることもあるよね。」
ウニのたとえ話がうまいかどうかは別として(笑)
若い世代になればなるほど、トラブルにならないようにと気を遣いすぎて、
お互いに近寄れなくなって、お互いの本心が見えなくなって、
疑心暗鬼になっている事が多いような気がします。
気遣いは大事なことですが、
本当は気を遣わない関係が一番いいという事を忘れちゃいけないなと思う今日この頃です。